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横浜地方裁判所 昭和38年(ヨ)193号 判決 1963年9月30日

申請人 梅津征一

被申請人 社団法人全日本検数協会

主文

一、申請人が被申請人に対して提起すべき本案判決の確定するまで、仮に、申請人が被申請人の従業員であることを定める。

二、被申請人は申請人に対し、金二四九、二〇〇円および昭和三八年八月一日以降右本案判決の確定するまで、毎月末日限り、金二〇、〇〇〇円を仮に支払え。

三、申請費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

申請代理人は、主文第一項同旨、並びに被申請人は申請人に対し一六九、二〇〇円および昭和三八年四月一日以降毎月末日限り、金二〇、〇〇〇円の金員を仮に支払えとの判決を求め、申請の理由を次のように述べた。

一  申請人は、昭和三六年一一月九日検数員として被申請人に雇傭されたものであるところ、被申請人は、申請人が昭和三七年八月一日以降退職によつて被申請人の従業員たる地位を喪つたものとして扱い、同日以降申請人の就労を拒否し、同日以降の賃金を支払わない。

二  しかして、この状況に至つた経緯は次のとおりである。

1  申請人は、昭和三七年七月二六日、二七日の両日必要な欠勤の手続をしたうえ、同僚七名と共に千葉県富津海岸に海水浴に行つたが、海が荒れたことや事故のため目的を達しなかつたので、同県木更津で更に一泊して遊ぶこととし、翌七月二八日は無届のまま欠勤し、同日夕、寮に帰つた。

2  翌七月二九日朝、申請人ら八名は出勤場所である被申請人の中央詰所に出勤したが、普段はおいてある出勤カード・作業配置札は定位置になく、何時も作業上の指示を与える太繩業務課長心得から二八日の無届欠勤を問責され、就労を許されなかつた。

3  七月三〇日、申請人ら八名は出勤したが、出勤カード・作業配置札は定位置になく、中西総務次長、赤木業務次長、太繩業務課長心得から無届欠勤を語気荒く責められたうえ、申請人ら八名に対し翌三一日に辞表を提出することを要求され、もし提出しないときは解雇するとおどかされ、就労は許されなかつた。

4  七月三一日、申請人らは出勤したが作業の指示は与えられず、申請人らは話合のため中西総務次長を呼んだところ、同人は申請人らの勤務状況について叱責した。其後、申請人らは太繩業務課長心得に対し、今迄の行動を反省し、今後は勤務にはげむ旨の謝罪をした。

5  八月一日、申請人らは出勤したが作業の指示は与えられず、中西総務次長から「海水浴のことは水に流す、ただし安士君には話があるから残れ。」と言われたが、申請人らは、被申請人が申請人ら八名のうち安士だけに対しては解雇処分をする意図があると考え、申請人らは一緒に海水浴に行つた八名のうち一人だけが処分されることは、友人として責任を感ずると抗議したところ、中西総務次長は憤然として、申請人らのうち大江、大石両名に対し、「君も同じ意見か。」と返答を促したが両名は黙つていたところ、この様子をみて中西総務次長は、「全員解雇だ、明日解雇通知と解雇手当を届ける。」と言つて立去つた。

6  八月二日、申請人らは出勤したが作業の指示はなく、中西総務次長、太繩業務課長心得が申請人らの寮管理人室において、申請人および大石、安士の三名に対し、退職手当と精算分賃金を渡そうとしたが、これを解雇予告手当であると考えた申請人らはその受領を拒否した。

その後申請人らは労働組合を通じて被申請人と交渉したが、被申請人は、申請人ら八名は八月一日に退職の申出をしたのでこれを認め、同日同意退職となつたものであると主張して譲らない。

三  しかしながら、申請人は被申請人に対し八月一日退職の申出をしたことはない。

たとい、申請人が中西総務次長に対し「やめます。」と言つたとしても、辞職することは申請人の真意ではなかつたし、中西総務次長も、それが申請人の真意でないことは、これを知つていたか、又は充分知り得た筈のものであるから、申請人の右意思表示は、民法第九三条により無効なものである。

四  そうでないとしても、被申請人の就業規則第四〇条には、「従業員が退職せんとする時は、事由を詳記した退職願を提出し、協会の承認を受けなければならない。」と定められており、申請人は退職願を提出した事実はない。この就業規則は退職という一身上の問題については、充分慎重に考えたうえ意思決定をさせるという従業員保護の目的から定められた規定であるから、このような定がある場合には、書面によらない退職申出は申出としての効力を有しない。従来被申請人は、その従業員が退職の意思を明らかに示した場合においても、常に退職願の提出を求めている。

以上のように、申請人は退職したことはなく、被申請人の従業員たる地位を有するものであるのに、被申請人は申請人を昭和三七年八月一日以降退職者として扱い、就労を拒み、賃金を支払わず、寮からの退去を求めている。

五  申請人の賃金は、前月一六日から当月一五日までの分を、支払額が一五、〇〇〇円を超える場合には当月二五日に一五、〇〇〇円だけを支払い、残額を当月末日に支払う定めであるところ、申請人が得た昭和三七年二月分から同年七月分までの賃金の平均額は二一、一五〇円であるから、昭和三七年八月一日から昭和三八年三月末日までの賃金合計額は右平均賃金に従つて計算すると金一六九、二〇〇円となる。

六  申請人は被申請人に対し雇傭契約存在確認の本訴を提起すべく準備中であるが、本案判決確定までには長日月を要するし、その間従業員としての取扱を受けず、賃金の支払を受け得ないことは、申請人に回復し難い損失を与えるので地位保全および前記賃金一六九、二〇〇円および昭和三八年四月一日以降本案判決確定まで右平均賃金の範囲内である月額金二〇、〇〇〇円を毎月末日限り支払うべき旨の賃金仮払いの仮処分を求めて本件申請におよんだ。

(疎明省略)

被申請代理人は、申請人の仮処分申請を却下する、申請費用は申請人の負担とするとの判決を求め、答弁として次のように述べた。

一  申請理由第一項の事実は認める。

二  申請理由第二項の1の事実中申請人が昭和三七年七月二六日、二七日の両日必要な手続をとつたうえ欠勤したこと、翌二八日無届欠勤したことは認め、その余の事実は知らない。

2ないし4の事実は認める。

5の事実中「ただし安士君には話があるから残れ。」と言つたのではなく、「後で総務に来い。」と言つたのである。「全員解雇だ、云々。」と言つたことはない。中西総務次長は申請人らを解雇したり退職させたりする意思はなく、引続き就労させる旨の協会の決定に基いて、申請人らに対し、「海水浴の件は水に流すから、明日から真面目に働け。」と述べたところ、申請人らは「協会に残りたいとお願いしたことは一度もない。」と言い、中西総務次長が念を押したのに対し、申請人ら全員が、「やめます。」と言明したので、「君達はやめるんだな、やめるならやめ給え。」と言つたのであり、被申請人は申請人の居住していた寮長に極力慰留を試みさせたのであるが、申請人が辞意をかえなかつたのである。その余の事実は認める。

6の事実中、申請人は退職手当の受領を拒否したというが、拒否したのではなく、明日協会において授受をしようと言つたにすぎない。しかるに其後も申請人はこれを受領しに来ないので、約三週間後に現金書留にして白楽寮気付とし、申請人に宛てて送達した。その余の事実は認める。

三 申請理由第三項の事実中、辞職することは申請人の真意でなかつたことは否認し、たとい心裡留保によるものであつたとしても、中西総務次長はそれを知らなかつたし、知り得べき状況でもなかつた。

四 申請理由第四項の事実中、被申請人の就業規則に申請人主張のような定めのあること、申請人が退職願を提出しなかつたことは認めるが、従来被申請人の取扱例としては退職願の提出のない事例は極めて多く、又申請人は八月一日中西総務次長に対し口頭で退職の申出をなし、中西総務次長はこれを承認して退職の効力が発生したのであるから、このように退職の意思が明確に表示された場合には、右就業規則第四〇条の適用をみるべきものではなく、退職願を提出しない退職の意思表示はその効力を有しないとの申請人の主張は失当である。

五 申請理由第五項の事実は認める。

六 申請理由第六項については、本件申請は仮処分の必要性がないので却下さるべきである。申請人が退職者として取扱われたのは昭和三七年八月以降であり、それから既に八カ月を経過したのち本件申請をなすに至つたのは、仮処分の必要性のないことを示すものである。(疎明省略)

理由

一、申請人は昭和三六年一一月九日、検数員として被申請人に雇傭されたものであること、被申請人は、申請人が昭和三七年八月一日退職により被申請人の従業員たる地位を喪つたものとして扱い、同日以降申請人の就労を拒否し、賃金を支払つていないこと、申請人主張のような就業規則が被申請人に存すること、申請人は就業規則に定めるような退職願を被申請人に提出したことはないことはいずれも当事者間に争がない。

二、申請人は、昭和三七年八月一日被申請人に対して退職の申出をしたことはないと主張し、被申請人はこれを争うので考えるに、昭和三七年八月一日にいたるまでの経過として、

1  証人安士道男の証言および申請人梅津征一本人の供述によれば申請人は、昭和三七年七月二六日、二七日の両日必要な欠勤の手続をしたうえ(この点は当事者間に争がない。)、同僚七名と共に千葉県富津海岸に海水浴に行つたが、海が荒れたことや事故のため海水浴の目的を達しなかつたので、申請人らは同県木更津で更に一泊して遊ぶこととし、翌七月二八日は被申請人に無届のまま欠勤した(但しこの無届欠勤の事実は当事者間に争いがない。)ことが認められる。

2  翌七月二九日、三〇日、三一日の経過は、申請人がその申請理由第二項2、3、4において述べた事実のとおりであることは当事者間に争がない。

以上のような経緯であつたところ、問題の八月一日の状況は、証人安士道男、中西弘(第一回)、太繩武の各証言および申請人梅津征一本人の供述によれば、次のようであつたことが認められる。即ち、

『申請人らは前日同様出勤したが、作業の指示はなく待機していたところ、被申請人幹部は前日太繩業務課長心得から申請人らが謝罪して就労継続を望んでいる旨の報告を受けて、解雇などの処分を思い止まり申請人らの就労継続を決定したので、中西総務次長が午前一一時頃中央詰所において申請人らと会い、「海水浴のことは水に流す、明日から今後間違いを起さないように働いて貰いたい。ただし安士君は勤務成績に問題があるのであとで総務に来なさい。」と言つたところ、申請人らは、被申請人が安士のみを解雇処分にするものと解し、共に行動した責任を安士のみが負う結果になると考え、安士の処分に抗議し、安士を援護するため、「一人やめるのだつたら皆やめる。」「八名でやつたことだから共同で責任をとるのだ。」「この会社に残つて働きたいと言つた覚えはない。」などと言つた。中西総務次長はこの状況が太繩業務課長心得からの報告と相違して申請人らが謝罪の態度を示さないのに驚くと共に憤然とし、申請人らのうち二、三人を指差して「君もか。」と言つたところ頷いて首肯するので、更に、「皆同じなんだな。」と言つたのに対し、申請人らは頷きあるいは沈黙して異議を述べる者はなかつた。そこで中西総務次長は、全員退職の意思を示したものと考え、憤然として、「やめるのだつたらやめ給え。」と言い捨てて立去つた。』更に、証人安士道男、中西弘(第一、二回)の各証言および申請人梅津征一本人の供述によれば、「翌八月二日、中西総務次長、太繩業務課長心得は申請人らが退職したものと考えて申請人らの居住する被申請人の寮に赴き、寮管理人室において申請人・大石・安士に退職手当および精算分賃金を手交せんとしたが、申請人らは退職が確定したものとは考えていなかつたので、七月二九日来の経過からこれを解雇予告手当および精算分賃金であると思い、これを受納すれば被申請人による解雇を肯認することになると考え、その場所での受領を拒んだ。」ことが認められる他に右認定を妨げる証拠はない。

三、以上認定したところによれば、八月一日被申請人の中央詰所において中西総務次長と申請人ら八名が会した際、中西総務次長が二、三人を指差して、「君もやめるのか。」と尋ねて首肯の返答を得たあと、「皆同じなんだな。」との問に対して申請人らは頷きあるいは沈黙して積極的に異議を唱える者はなかつたのであるから、中西総務次長の問に対し肯定的な返答をしたものと解せられ、その事実によれば、それが曲折を経た事情の末のことであり、又申請人らの真意が安士の処分に対する抗議の意図に出ずるものであつたにせよ、申請人らはこの際不明確ではあるけれども一応退職の意思を表示したものと言うことができる。

四、申請人は、右意思表示は申請人の真意ではなく、安士一人が被申請人の処分を受けることに対し、共に行動した者としての責任感から処分に抗議する意図に出たものであつたと主張し、この事実は前示認定のようにその前後の状況からこれを窺うことができるが、更に進んでこの退職の意思表示が申請人の真意でなかつたことを中西総務次長が知つていたこと、又はその当時知り得べき状況にあつたことを疎明するに足る証拠はない。よつてこの退職の意思表示が心裡留保のため無効である旨の申請人の主張は理由がない。

五、次に、申請人は、被申請人の就業規則第四〇条には、「従業員が退職せんとする時は、事由を詳記した退職願を提出し、協会の承認を受けなければならない。」との定めがあるところ、申請人は被申請人に対し退職願を提出したことはないから、退職の効力を生じないと主張するので判断するに、上述の当事者間に争のない事実および前認定の事実により明らかな退職の意思表示がなされるまでの経過、状況に徴すると、申請人らはことの行きがかり上、退職する旨の意思を表示したものの、それは双方のやや感情的なやりとりの末なされたものであつて、しかも個別的に意思を表明したのではなく、問に対して数人が集団的に肯定の態度を示したにとどまるから、明確かつ決定的に退職の意思を明らかにしたものとはいい難く、又申請人らには退職として取扱われているのか解雇として取扱われているのかすら判然とせず、解雇されたのではないかとの疑問をもち、申請人らがそう解しても無理からぬ事情もあつたといわねばならない。そこで、被申請人の就業規則第四〇条について考えると、そもそも就業規則の制定作成は、使用者が一方的になすところであるけれども、一旦制定された就業規則はその企業における労使双方に妥当する制約として被傭者の利益のためにも使用者を拘束するものというべきところ、被申請人の就業規則第四〇条に定めるところも、一方、被傭者が退職するに際し、その時期、事由を明確にして、使用者に前後措置を講ぜしめて企業運営上無用の支障混乱を避けると共に、他方、被傭者が退職という雇傭関係上最も重大な意思表示をするに際しては、これを慎重に考慮せしめ、その意思表示をする以上はこれに疑義を残さぬため、退職に際してはその旨を書面に記して提出すべきものとして、その意思表示を明確かつ決定的なものとし、この雇傭関係上最も重要な法律行為に紛糾を生ぜしめないようにするとともに書面による退職の申出がない限り退職者として取り扱われないことを保障した趣旨であると考えねばならない。

とすると、本件の場合の如く、一応申請人の退職の意思表示がなされたといい得る場合であつても、前後の事情から必ずしもそれが明確かつ決定的ではなくて、その真意に疑義が残り、冷静にかえれば双方に再考の余地が充分にあり、(ちなみに、申請人らの七月二八日の休務は、疎乙第一号証の就業規則第二一条の定めるところによれば明かに無断欠勤であつて、その責は申請人らに帰せらるべきことは論をまたない。)又解雇されたのではないかとの申請人の疑問を残しているようなときに、被申請人が申請人の退職願書の提出を待つてその意思の個別的で、明確かつ決定的な表示を確認せずに、退職の意思を表示したものとして固執し、そのような取扱をすることは、雇傭関係上最も重要な意思表示に相応の配慮を用いたものとはいえず、相互に感情に走り、軽卒におち入つたものというほかなく、被申請人の就業規則第四〇条の趣旨に照し、申請人が退職願書を提出していない現在ではいまだ退職の効力は生じていないものとせざるをえない。よつて、結局申請人は被申請人の従業員たる地位を喪つていないものと解すべきである。

もつとも前顕証人中西弘の証言(第一回)によると、被申請人は従業員の任意退職の場合には通常退職願書の提出を求めているのであるが、口頭による退職の申出により退職の取扱をして退職願書の提出のない事例もあつたことが窺われるが、たまたまこのような事例があつたからといつて叙上の判断を妨げるものではない。

六、次に、仮処分の必要性について、案ずるに、被申請人は、申請人が退職の取扱をうけるようになつたのは、昭和三七年八月一日であるのに、昭和三八年四月に至つてようやく本件仮処分申請に及んだことから考えてもその必要性がないものであると主張するけれども、証人高橋昭一の証言および申請人梅津征一本人の供述によれば、申請人は昭和三七年八月一日以後直ちに労働組合に助力を求め、申請人の属する労働組合は被申請人との数回の交渉のほか、昭和三七年一一月、昭和三八年春季の団体交渉などの際にも被申請人の退職取扱撤回を求めて努力しており、交渉の方法による解決の見通しがなくなつたので本件仮処分申請におよんだことが認められ、その間申請人は収入の道を断たれ、他に、安定した職をみつけることも出来ず、労働組合の事務手伝などし、組合、同僚の支援によつて辛うじて生計を支えて現在に至つているものであつて、将来の生計維持も非常に不安定な状態にあることが疎明され、本案判決確定にいたるまでの間仮に従業員たるの地位を定め、賃金の支払を受けることを必要とする急迫な状況にあることが明らかである。

七、そこで仮払を命ずべき金額について考えると、被申請人の平均賃金が月額二一、一五〇円であることおよび賃金支払方法が申請人主張のとおりであることは当事者間に争がないところ、申請人が昭和三七年八月一日以降現在にいたるまで相当の苦労と犠牲を払つて来たのに何ら償われていないこと、将来の生計も極めて不安定なことを考えると、申請人が昭和三七年八月一日以後被申請人から支払を受けるべき賃金の額は右平均賃金であるとみるのが相当である。よつて被申請人は申請人に対し昭和三七年八月一日以降の賃金を、本件口頭弁論終結の日(昭和三八年八月一二日)までに既に履行期の到来した一二カ月分金二四九、二〇〇円(昭和三七年八月一日から昭和三八年三月末日までは右平均賃金である月額二一、一五〇円の計算、昭和三八年四月一日から同年七月末日までは右平均賃金額の範囲内である月額二〇、〇〇〇円の計算による。)については即時に全額を、その後に履行期の到来する部分については昭和三八年八月一日から毎月末日限り金二〇、〇〇〇円宛を仮に支払うことを命ずることとし、申請費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 久利馨 若尾元 田中昌弘)

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